教授からのメッセージ
Interview

研究者を志されたのはいつ頃ですか。
当時はバイオテクノロジーという言葉がようやく出てきた頃でした。両親も地元では手に入らなかった科学書を、遠方まで買いに連れて行ってくれました。育った環境とも相まって、だんだんと生き物と生物学に興味を持つようになったと思います。
小学校の高学年になり、両親から研究者という職業があることを教えてもらい、「好きなことを職業にできる。」という点をとても魅力的に感じて研究者を目指すことにしました。
先生は理学部のご出身ですが、その理由を教えてください。
周囲からは医学部を薦められていましたが、高校3年まで迷った末に、臨床医になるつもりはなく、「より研究に没頭したい。」という気持ちが決め手となり理学部へ進学することに決めました。
今、医学部に教員として着任する機会に恵まれ、 医学部を卒業して研究者になることの利点も感じています。それは、ヒトの体について体系的に学び、ヒトの病気、病態についても学べることです。肉眼解剖実習なども、他の学部ではまずありえません。基礎研究を行う上でも、その研究がどのようなことに役立つのか、イメージできるのとできないのとでは違いますし、研究のアプローチにしても、病気など、ヒトの体について良く知っていることは研究者として大きな強みになると思います。
どのような学生時代を過ごされましたか。
その後、専門の学科に進級するのですが、私は理学部の生物化学科に進みました。1学年20数名と小さいながら、「生物系で研究者を目指すならここ」といわれていた花形の学科で、東大の中でもとりわけ優秀な人たちが集まっていました。学科のみんなは志も高く、授業外でも英語の教科書の輪読会をやったり、夏休みには他の研究所に行って研究体験をさせてもらったりと、お互いに刺激し合い、高めあうことができました。教養の講義も面白かったのですが、それにも増して3、4年の講義は楽しく興味深いものでした。
中学、高校で抱いていた研究者のイメージは、「長い下積みを経てから一人前になる」というものでした。しかし、生物化学科に入り、先生方のお話を聞いて、研究に新人もベテランもないということを知りました。それは、自分のアイデア次第ですぐにでも世界のトップに躍り出ることが可能であったり、すぐ隣のベンチで行われている研究が、明日世界の最先端となりうる世界だということです。 学生だからといって引け目を感じる必要はない、そうなると頑張らない理由はない。研究の世界の無限の可能性を知って、目を開かれたような気持ちになり、また、同じ志を持つ同期の仲間に出会えたことも刺激になり、研究の世界にどっぷりとつかっていきました。
現在の専門に進まれることになったきっかけを教えてください。
学部から大学院に至るまで、私は坂野仁先生の研究室で研究を行いました。当時、坂野先生はアメリカの教授を辞めて帰国し、東京大学の教授に着任されてからまだ数年というところでした。変人揃いの理学部教授陣のなかでもひときわ異彩を放っており、その大物感に惹かれたというのが坂野研究室の門を叩いた理由のひとつです。
坂野先生は何でも良いから「オモロイ研究」をしなさいと常日頃からおっしゃっていました。個性を尊重してくださる先生でしたが、やる前から結果が予想できるような優等生的な研究を提案しても「そんなんやってもオモンないやろ。」と一刀両断にされました。かといって、答えも代替案も示してくださるわけではありません。私も研究テーマを考えるのに学部4年の途中から半年くらいかかりました。アイデアをノートに書き留めたり、ラボの先輩や先生とディスカッションを繰り返したりして深めて、修士1年の途中で坂野先生に「この研究をやります。」と伝え、取り組み始めました。
匂いの情報というのはヒトで約390種類、マウスで約1,000種類の嗅神経細胞によって受容されています。これほど多くの種類の神経細胞の軸索がどのようにして脳に正確につながるのかという問題は、いろんな研究者が知りたいと思いながらも、長年の間何の手がかりも得られずに残っていた難問でした。ノーベル賞級の研究者たちの挑戦を阻んできた課題に取り組むことについては、若干二の足を踏みました。しかしながら、「坂野先生はこれくらいのテーマでないとGOサインを出さないだろう」と思ったので、このテーマに挑戦することに決めました。
大学院での研究について教えてください。
最終的に論文は一流誌に受理されたのですが、その頃は喜びよりも「やっとか」というのが正直な感想でした。やり遂げたことの意味を実感できたのは、論文掲載直前に海外の学会で初の口頭発表を行った時でした。1人で乗り込んだので知人もおらず、無名のアジア人学生が決して上手とは言えない英語で発表を行ったわけですが、海外の著名な研究者から最大級の賞賛を頂くことができて、ようやく「この瞬間のために研究をしてきたのか」という感情が沸いてきました。
研究者として大切だと思われることを教えてください。
それから、メンタルがタフで前向きであることも大切です。 大学院での私の研究はボスの反対を押し切って始まりました。結果が出てくるまでの数年間は、周りにボロクソに言われて弱気になることもありましたが、「これでいける」という自分の信念にのみに従って研究を続けました。諦めたらそこで試合終了です。今では「今井君には感謝している。」と坂野先生に言って頂いています。研究者として一番不幸なのは、疑問に思いながらも誰かのいいなりになって研究を行い、上手くいかなかった時にそれを他人のせいにしてしまうことです。結果は常に自分に返ってきます。何ごとにおいても、「最終的に信じられるのは自分自身」、「常に自分で選択してその結果に責任を持つ」という意識を強く持つことが、良い仕事をし、充実した人生を送る秘訣だと思います。
現在のやりがいと目標を教えてください。
医学部なので研究者よりも臨床医になる学生さんの方が圧倒的に多いのですが、それでも講義などを通して彼らのモチベーションやポテンシャルを引き出すことにはやりがいを感じています。また、研究室においては、研究の真の進展というのは人の成長なしには起こりえないと思っています。人が苦悩しながらも殻をやぶって次のレベルへと成長していく様を見ることができるのは、ボス冥利に尽きるとしか言いようがありません。そして、願わくば、世界で活躍できる研究者を1人でも2人でも育成したいと思っています。学生時代の友人の中には海外の恵まれた研究機関で活躍する人も多いのですが、私が九大で教員をやっているのは、大学院時代に高い目標に向かって自由にやらせてくださり、研究者としての基礎を固めてくださった恩師や日本の大学への感謝の気持ちがあります。そして日本発にこだわりたいという思いもあります。それぞれの個性を伸ばしながら、研究の世界で自由に羽ばたける学生を育成したいと思います。
もちろん、これからも研究で世界に向けて発信していきたいというのは言うまでもありません。どんどん新しいことが分かってきていますが、「脳の複雑な神経回路が作られる仕組みを理解したい」、という学生時代の目標はまだ完全には達成できていません。九大医学部だからこそできたと言えるような研究成果を出していきたいと思っています。
最後に学生さんにメッセージをお願いします。
それから、学生のうちに出来ることをいろいろやってみてください。新しい学問に触れてみる、アルバイトをしてみる、海外に行ってみる、なんでも構わないのですが自分の視野を広げることを意識して日々を楽しんでください。
研究者を目指す人向けになりますが、学生であっても、ひとたび研究を始めたら遠慮なくトップスピードで駆け抜けてください。人生長しといえども、純粋に研究だけに打ち込める期間というのは実はとても限られています。20代までは体力も情熱もあふれんばかりにありますし、先入観にとらわれず、斬新なアイデアを思いつくことができます。自信過剰で勢い余ってボスと喧嘩しても笑い話で済みます。その貴重な時間を無為に過ごすことはとても惜しいことだと思います。思う存分研究に没頭してください。
今井教授について

今井 猛 教授
医学研究院 基礎医学部門 生体情報科学講座 疾患情報研究分野
福岡は海も近いことがあり、たまに海釣りを楽しんでいます。釣りは工夫を凝らして功を奏す時もあれば、いくら粘ってもダメなこともあります。自分でどうしようもないことに対峙することが面白く、その部分では釣りも研究も似ているなと感じられるそうです。
医学研究院 基礎医学部門 生体情報科学講座 疾患情報研究分野
福岡は海も近いことがあり、たまに海釣りを楽しんでいます。釣りは工夫を凝らして功を奏す時もあれば、いくら粘ってもダメなこともあります。自分でどうしようもないことに対峙することが面白く、その部分では釣りも研究も似ているなと感じられるそうです。