在学生の声

在学生の声

大切なひとの苦しみから決意した、完治が難しいとされる病に挑む若き研究者


語り手:大迫 瑞季(おおさこ みずき)さん
令和7年度 九州大学 医学部 生命科学科 4年生

九州大学医学部生命科学科4年の大迫瑞季さん。大切な人が完治の難しい病を患っていた経験から、幼いころより「病気の人を助けたい」という想いを抱いていたといいます。そんな彼が目指したのは、医師ではなく、治療方法を研究する研究者としての道でした。ラオス訪問で知った医療の難しさと、日々研究室で向き合う命の重み。病を根本から治したいという静かな情熱が生み出す、彼の挑戦の軌跡に迫ります。

対症療法ではなく根本の解決を。研究者を志した原点

まず、生命科学科という研究者の道を志したきっかけを教えてください。

私の実家は医師の家系ではありません。そんな私が医学を意識したのは、ごく身近な人が関節リウマチを患っていたこと、そして癌で亡くなった親戚がいたことがきっかけです。まだ漠然とでしたが「病気の人を助けたい」という思いは、子どものころから心の中にありました。ただ、「医療従事者になる」という道には、自分の中で一つ大きな壁がありました。実は私、血を見るのがすごく苦手なんです(笑)。それに、他人の痛みに共感しすぎてしまう性格で、医師として患者さんの苦しむ姿を目の当たりにすると「うわ、痛そう……」と自分までダメージを受けてしまうだろうと。そんな自分が医療の現場に立って、冷静に処置をこなせるのか、ずっと迷いがありました。

そこからどのようにして、研究者への道を見つけたのですか?

高校の担任の先生が「九州大学に生命科学科という、研究に特化した学科がある」と教えてくれたのが大きな転機でした。医師は目の前の患者さんと一対一で向き合い、保険診療の範囲内で最善の治療を行います。それはきわめて尊い仕事ですが、治療法が確立されていない病気に対しては、どうしても症状を和らげる対症療法が中心になってしまいます。それは自分が目指す医療の道ではないなと。「それよりも病気の根本的なメカニズムを解明して、新しい治療法そのものを生み出す側になればいい」そう考えたとき、研究者こそが自分にとっての目指す医療の道だと確信しました。医師を目指す人とはアプローチが違うかもしれませんが、「病を根絶したい」という根っこは同じなんです。

慣れない生物学に苦戦するも解剖実習で気づく「命の重み」

九州大学に入学されてから、学習面での苦労はありましたか?

正直に言うと、受験勉強よりも大学に入ってからのほうが圧倒的に勉強量は多く、大変でした。私は高校時代、物理と数学が大好きで、生物学は未履修だったんです。ところが大学に入ると、最初の細胞生物学のテストから分厚い教科書1冊丸ごとが範囲という世界……。学科を間違えたのではないかと思ったほど、物理脳の自分には、この膨大かつ網羅的な生物学的知識をインプットするのはかなりハードな挑戦でした(笑)。

とくに印象に残っている授業や実習はありますか?

2年生のときの神経解剖学の実習ですね。これは医学科の学生と同じカリキュラムで行われます。とくにご献体を前にする解剖実習では、その方が歩んできた人生や、未来の医学のために身を捧げてくださったことに思いを馳せてしまい、最初は胸にくるものがありました。しかし、同時にこうした尊い犠牲や多くの貢献があるからこそ、私たちの研究が成り立っているのだと、身をもって知ることもできました。

ラオスで痛感した、医学を届けるために必要な「対話」

学生生活では、部活動での経験も大きかったと伺いました。

はい。私は熱帯医学研究会という部活に所属していまして、幹部として広報に携わっていたこともあります。その研究会では3年生のときにラオスへ行きました。そこでの経験は、私の価値観を根底から揺さぶりましたね。というのも、ラオスの山奥にある村では、現代の西洋医学だけでなく、精霊や呪術を信じる民間療法が今も人々の暮らしの真ん中にあるんです。

  • ラオス 訪問看護への同行

  • ラオス 寺院の前で

具体的にどのような場面で文化や考え方の違いを感じましたか?

例えば、重い病気の赤ちゃんを抱えたお母さんがいたとします。私たち医療側の人間は「この栄養を摂れば助かる、病院へ行こう」と説得しますが、お母さんは「これは神様が決めた運命だから、そのまま受け入れる」と静かに首を振るんです。また、病院に来る患者さんの中には、私たちが考えるような時間の観念を持っていないことがあり、「朝昼晩、1日に3回薬を飲む」という指示が伝わらない場合もあります。そういうときはお薬を渡す前に、まず時間の数え方を教えることからはじめなければなりません。どれほど画期的な新薬を見つけたとしても、それを受け取る人々の生活背景や価値観を理解していなければ、本当の意味で人を救うことはできないと痛感しました。

  • ラオス 街の様子

  • 熱帯医学研究会での発表の様子

確かに、研究者こそ現場を知っておくことは大切そうですよね。

また、部活を通して学んだリスクコミュニケーションの視点が重要だと考えるようになりました。リスクコミュニケーションとは、専門家が一方的に「これが正しい」と押し付けるのではなく、相手の不安に寄り添い、共通の言語を見つけ出し、双方向の対話を通じて納得を得るプロセスのことです。これは将来、私が研究者として社会や他の専門家とディスカッションし、科学の成果を適切に社会へ還元する上でも、欠かせない視点だと思っています。

ホテルマンから清掃まで。泥臭い経験が養う「研究者の視野」

大迫さんはアルバイトもかなり熱心にされているそうですね。

はい。私の場合、大学で学ぶにはどうしても経済的な自立が必要な状況でした。そこで、自分の学費や生活費を賄うために、給付型の奨学金をいただきつつ、いろいろなアルバイトを経験してきました。ホテルのフロントスタッフを2年以上つづけましたし、九大病院やショッピングモールの夕方清掃、さらにはPayPayドームでのイベントの撤収作業といった日雇いの仕事もやりました。

多様なアルバイト経験は、研究者としても何か影響はありましたか?

ホテルのフロントではときに理不尽な要求を受けることもありましたが、逆に観光の相談に乗った際に「あのお店、よかったよ」とわざわざお礼を言いに戻ってきてくださるお客様もいて、人との繋がりの温かさを知りました。清掃の仕事では、当たり前にある環境が誰かの献身によって維持されていることを実感しました。研究者というのは、放っておくと研究室という閉鎖的な世界に閉じこもりがちです。でも、私はアルバイトを通じて「世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方がある」というリアルな感覚を学べました。人と関わることが好きだという自分の性質は将来、異なる分野の専門家と連携して新しいイノベーションを作り出す際の大きな強みになると信じています。

命の重みに向き合う日々。あらゆる経験を将来の糧にする

かつては「血が苦手」だったとのことですが、今はどうですか?

血が苦手とか、言っていられませんよ。研究というのは地道な作業の連続です。血が苦手と言っていた私も、今では朝7時に研究室へと行き、夜までマウスの採血や解剖に明け暮れています。「マウスくん、ごめんね」と怯えていた処置も、今では「君の命を無駄にしないために、一刻も早く正確にデータを取らなければ」と頑張っています。

多忙な研究生活の中で、精神的な支えとなっているものは何でしょうか。

実はこの数ヶ月、私生活でも大切な人との別れを経験するなど激動の日々を過ごしてきました。精神的にきつい時期もありました。そんなときこそ研究室の仲間と本音で語り合ったり、研究に没頭したりすることで、自分を支えてきました。こうした私生活での葛藤も、きっとそのすべてが将来の糧になるのだと信じています。

たとえ自分が生きている間に花開かなくてもいい

今後の進路と、その先に見据える目標を教えてください。

卒業後は九州大学の修士課程に進学して、まずは今取り組んでいる研究を深めていきたいと考えています。その後、大学に残って博士号を目指すのか、民間の製薬企業などで研究をつづけるのかはまだ悩んでいますが、いずれにせよ生涯をかけて免疫の謎に挑みつづけることになるでしょう。

最後に、生命科学の研究を志す後輩たちへメッセージをお願いします。

研究というのは、果てしなく長い時間がかかるものです。私が今日研究室で見つけた小さな発見が、明日すぐに成果につながるわけではありません。でも何十年、あるいは何百年か後に、「あのときのあの一歩が、今の治療法の土台だったんだ」と言われる日が来るかもしれない。私たちが今教科書で学んでいる知識も、かつての名もなき研究者たちが、気が遠くなるような時間をかけて積み上げてくれたバトンです。たとえ自分の代で完全な解決を見られなくてもいい。後世につながる一歩を、誰よりも誠実に刻むこと自体に、この仕事の誇りがあると思っています。医学部には医師を目指す人以外にも、こんなに熱く、世界の理に触れる道が広がっています。九州大学生命科学科という、国内でも数少ない本物の研究環境で、ぜひ一緒に未来の医療の土台を築きましょう。

  • 卒業論文発表会での一コマ

  • 卒業式にて

(聞き手: 堀本一徳)
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